付喪レコード3

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 ったく……あーどこまで話したか忘れちまったじゃねぇか……
 そうだそうだ。喧嘩して仲直りしたところまでだったな。
 そっからだった。お互いに所帯を持つことを意識し始まったのはよ。
 通勤で写真館の前を通るんだけどそこでよく信号で止まるんだけどよ、ちょうど展示スペースに花嫁の写真が飾ってあるんだわ。
 それを止まるたびにじっと見てよ信号が変わっても動かねぇもんだからクラクション鳴らされるのがしょっちゅうになったり、独り言を言うようにもなったん だよ。
「ケッコンか……」ってな。
 オヤってやつにそう言われたのかもしれねぇんだろうけどよ、あんなに悩んでる小僧は見たことがなかったな。
 それからすぐだったな。いつも以上にビシッと決めてデエトに出かけたのは。嬢ちゃんを迎えに行くと、前から約束でもしていたんだろうしっかりとおめかし して待っててよ、拾って着いた先はどっかの高級ホテルでよ。
 二時間ぐれぇか? 待ってると戻ってきてよ嬢ちゃんが泣いてンだよ。始めは小僧が何かしでかしやがったって思ったんだけどよ、よく見ると二人共笑顔なん だよ。そんで嬢ちゃんの左手の指にゃ輪っかが光ってんだ。


「へぇ……じゃちゃんとケッコンできたんだ」

「そうだな」

 そっから少しだけ小僧と走るのが少なくなっちまった。
 仕事の帰りに軽く走りに行くのも、小僧の休みの日に遠くに行くのもだ。それに行ったとしても嬢ちゃんが隣にいっつもいた。
 つまんねぇわけじゃねんだよ。小僧がオイラのハンドルを握るのは嫌じゃなかったしよ、走るのがオイラの役目だからいいんだけどよ……
 ちっと物足りねぇんだ。
 ケッコンしちまってからは飛ばして歩くことなんてとんとなくなっちまったし、洗車も手洗いじゃなくて洗車機にぶち込まれるようになったし。
 あんだけ手ぇかけてくれてたのが夢だったんじゃねぇかって思っちまうよ……

「あれ? じゃあなんでおっさんここに居るわけ?」

「いろいろあんだよ」

「いろいろって」


 ケッコンしてからニ年ぐれぇ経った頃だ。新しい奴がやってきた。オイラみてぇなツーシーターのマニュアル車じゃねぇ、四人乗りの軽自動車だ。
 腹持ちもいいし、エアバックってやつも付いてるし何でもHDDって奴が入っていてCDなんていらないらしいじゃねぇか。
 それに嬢ちゃんにも運転できる。オートマチックってやつだな。
 そいつが来てからは余計に小僧はオイラに乗ることがなくなっちまった。
 それもそのはずだ。小僧と嬢ちゃんのガキができから来たんだオイラじゃ勤めは果たせねぇ。そんなことは重々承知なんだがよ……
 この状態に大分イラついてた頃だ。小僧が久しぶりにオイラに乗った。
 そりゃあ嬉しくってよ気張って行くか! って気合も入ったもんよ。そんなオイラの思いを知ってかしらずか高速に乗ってくれてな。思う存分走った。
 その帰りだ。とうとう言いやがったんだよ。まあ、整備工場で嫌に細けぇところまで見られてたし、雰囲気から察してはいたけどよ……いざ言われるとキッツ いもんだな。
 聞きたくもなかったがよ、ガキができちまったんだ。オイラにゃ乗せて歩けねぇし、二台もありゃ食い扶持がかかってしかたねぇ。
 何も泣くこたぁねぇのによ……


 静かになった――――さっきまでウザイほどに相槌を打っていた若造がしんみりとしてやがる。

「どうした」

「いや、ホント羨ましいなって。別れる前にそういうこと言ってくれるオーナーなんてあんまりいないだろ」

 言われてみりゃ小僧の前の持ち主には投げるように売り払われたもんな……それを考えると『いいオーナー』だったのかもしれねぇ。

「ん。俺の番か。おっさんお先に。話ありがとう」

「へっ! ありがとうなんて柄でもねぇこと言うんじゃねぇよ」

 若造は一つ鼻で笑い「そうれもそうか」って吐きやがって大きな機械の向こうへ消えるとでけぇ牙が若造を喰らい、砕き、細切れにしていった。

「やっとオイラか……」

 鉄の爪がかかってオイラの重い車体を軽々持ち上げて若造を飲み込んだ機械の上に連れて行く。
 話ついでに小僧の前のオーナーのことも思い出そうとしてみたが、小僧との走りが楽しかった。それしか覚えちゃいなかった。

『明日でお別れだ。今までありがとう』

 今になって思い出すなっての。これでいいのに未練が、残っちまうだろう。
 小僧が泣いていた事を思い出す。今頃また泣いてんじゃねぇだろうな。
 食い込んだ爪がゆっくりと離れてオイラが入るのを待ち構えている大口の中へ落ちる。
 最初で最後だかんな。

「ご主人! あんたと走ったの楽しかったぜ! ありがとうよ!」

 口が、閉じられた。


 外は晴れ渡り、桜の花が舞っていた。

「どうしたの? ほうけて空なんて見て」

 振り向くと、病院着に身を包んでベッドに横たわる妻が呆れつつも微笑んでいる。

「いや、今「ありがとうよ」って聞こえた気がしてさ」

「怪談にはまだ早いわよ。そうでちゅよねー」

 妻のベッドの隣には新生児用のベッドが。ほんの数時間前に生まれたばっかりの初めての子供が眠っていた。

「だよ、な。でも聞こえた声ってずっと長く一緒にいたような感じがしたんだ」

 子供が少しぐずり出す。それに驚いてたじろいでしまった。

「それより、ほら。この娘の名前。早く決めてって言ってるわよ」

「うん。そうだな……」

 桜が舞う紺青の空は、初めて自分で買った車と同じ色をしていた。

                                              ―了―


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